兵六公園の名前の由来

アイディアルレジデンス吉野Ⅱ内の公園は”兵六公園”といいます。
この名前をつけるにあたって、この地にゆかりのある名前にしたいと思いました。吉野小学校の校庭に”あきにれ”の大木がありますが、これは吉野小学校が以前、薩摩藩の薬園だったころのなごりらしく、公園の名前もそれにちなんで”あきにれ公園”にしようとしました。しかし、わかりにくいという行政の指導により却下となりました。また、この薬園が、後に西郷さんが開いた私学校の分校になったこともあり、西郷さんにちなんだ名前も考えましたが、”あまり仰々しくなるのでは”と、こちらも却下。そこで、歴史に詳しい知人に相談すると、このあたりが”大石兵六夢物語”の舞台のひとつだったとのこと。これはと思い、”兵六公園”と命名した次第です。小さな公園ですが、ここで遊ぶ子供たちが想像力豊かに、夢を持って育ってくれることを心から望みます。

この”大石兵六夢物語”はご存知の方も多いと思いますが、今から200年以上前に作られたお話です。鹿児島ではセイカの兵六餅がおなじみですが、この兵六餅のパッケージに描かれている人物こそ大石兵六です。
帯迫交差点にある御召覧公園にも兵六が狐を取り押さえている像があります(写真)。ここでは毎年、桜の季節になると”吉野兵六ゆめまつり”が開催されています。
この物語は、兵六という青年が、吉野に住む狐の悪さ話を聞き、一人狐退治に向かうところから始まります。しかし、逆に狐の化け物に脅かされたり、騙されて 肥溜め(こえだめ)の風呂に入れられたり、挙句の果てには坊主頭にされてしまいます。それでもめげずに2匹の狐を退治して意気揚々と凱旋したところで夢から覚めるというお話です。この兵六公園のあたりでは、狐が化けた”茨木童子””重富一眼坊””抜け首”に出会い一目散に逃げ出したようです。
この物語の兵六の足跡をたどると、どうやら兵六は上町あたりから鼓川・催馬楽・実方・現在の吉野小学校前・御召覧公園を通り、菖蒲谷・白銀坂に向かったようです。この白銀坂を通るルートは鹿児島から加治木・大口経由で熊本に向かう”大口筋”と加治木・末吉経由で都城に向かう”高岡筋”の一部でした。明治時代に磯庭園を通り重富に向かう現在の国道10号線ができるまで鹿児島の主要街道であったようです。歴史散策するには面白いかもしれません。